1、はじめに

月刊精神分析 編集部Aです。今月の月刊 精神分析のテーマは「マイケル・J・フォックス(MICHAEL J.FOX)」です。私が月刊精神分析を担当してから常々思っている事は「どうしたら精神分析/セラピーの世界を一般の方に分かり易くお伝えできるか?」という事です。そこで色々ネットで情報を集めてみるのですが、なかなか著名人の方で精神分析に関わりのある方が見つけられません。たまたま、私が見つけたのは、故・伊丹十三(映画監督)さんや、初代タイガーマスクの佐山聡さん、元ザ・フォーク・クルセダーズの北山修(精神科医)さんくらいでした。
そんな折、たまたま目を通したのが、マイケル・J・フォックスのベストセラー自伝『ラッキーマン』と言う書籍でした。マイケル・J・フォックスと言えば、映画バック・トゥ・ザ・フューチャー(三部作:BTTF)で一躍有名になった俳優さんです。アメリカ本国では、BTTF以前に、ホームコメディ「ファミリー・タイズ」でも成功していました。日本でも1989年に、HONDAインテグラのCMに登場し「かっこインテグラ」なんて言ってましたね。覚えていますか?

彼はBTTFの大成功により紛れもなくHe is huge star.ですが、不幸なことに、30歳の若さで難病:若年性パーキンソン病を発病します。後に彼は「ラッキーマン」という自伝を書きます。大スターであるが故に病気を公表できず、隠し続けながら俳優活動を続けていた彼の苦悩が著されています。アルコール依存の後遺症と自宅売買に関するトラブルの裁判に苦悩する彼に、妻のトレーシーは言います「貴方にはセラピーが必要よ」、マイケルは1993年のクリスマスの翌日、マンハッタンのウエストサイドで開業しているユング派のセラピストのジョイスに電話します・・・。
「ラッキーマン」を読めば、マイケルの生い立ちから、ハリウッドスターの光と影、そしてマイケルは、如何にして難病パーキンソン病と闘ったのかを理解する事ができます。
今月の月刊 精神分析は「ラッキーマン」をベースに、マイケル・J・フォックスと精神分析/セラピーを語ります。また、最後に竹田精神科学研究所の精神分析家:喜道進先生にコメントを頂いております。喜道先生は西武百貨店で開催される「子育て相談会」(池袋コミュニティーカレッジ)の講師を務める等、精力的に活動されています。
平成22年8月12日
2、登場人物プロフィール
マイケル・J・フォックス(Michael J. Fox, 1961年6月9日)
カナダ・アルバータ州・エドモントン生まれの俳優。
人気コメディーテレビ番組「ファミリータイズ(1983~1989)
映画バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)の大ヒットで世界的スターへ。
30歳で若年性パーキンソン病を発症。
マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団設立。
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トレイシー・ポラン(Tracy Pollan, 1960年6月22日)
出身地 : アメリカ/ニューヨーク州ロングアイランド。
TVシリーズ「ファミリー・タイズ」に出演。
共演したマイケル・J・フォックスと88年結婚。
89年に男の子、95年には双子の女の子を出産。
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ジョイス
マンハッタンのウェスト・サイドで開業しているユング派のセラピスト。
苦境に陥ったマイケル・J・フォックスに精神分析療法を施す。
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喜道 進(きどう すすむ)
本名:竹田 雅信(たけだ まさのぶ)
1950 (S.25)1月生まれ(二男一女の父)
1996 (H.08)惟能創理氏より教育分析を受ける
2006 (H.18)精神分析家指導者養成講座受講
2006 (H.18)竹田精神科学研究所を設立
2008 (H.20)千代田区神田小川町に東京研究所を開設
2009 (H.21)埼玉県熊谷市籠原南に埼玉研究所を開設
現在、池袋コミュニティーカレッジ講師。東京千代田区・熊谷市において多くの人の心のケアを行いながら『人間学講座』として「暮らしに活かす心理学」「明るい家庭づくり」「指導者養成講座」などをロータリークラブ、ライオンズ・クラブはじめ各所で講演している。
連絡先:takeda.msl@gmail.com
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編集部A(へんしゅうぶえー)(1963年3月12日)
月刊精神分析(げっかんせいしんぶんせき)編集部員。
ラカン精神科学研究所 福岡支所
出身:福岡県福岡市。
元コンピューター会社のシステムエンジニア。
食品工場の生産管理業務に従事。
飲食店の経営を経た後、月刊精神分析編集部。
宗教色の強い家庭に生まれ育つ。
二十代の頃、原因不明の疾病に苦しむが転地療法にて完治した経験から、心の作用に興味を持つ。
ひょんな切掛けから「精神分析」の世界を知り、約三年半色々な書籍を読み漁る。
ラカン精神科学研究所のサイト作成を担当し、分析家ネットワーク構築を推進。
現在は「月刊精神分析」の編集に関わりながら、惟能創理先生のセラピーを受けている。
lacan.fukuoka@gmail.com
3、精神分析/セラピーとは
本サイトでは「精神分析」と「セラピー」を同意とします。更に「精神分析家」と「セラピスト」を同意とします。ここで、よく話に出るのが「セラピー」と「カウンセリング」の違い「セラピスト」と「カウンセラー」の違いです。端的にいうと「カウンセリング」は助言・指導の域をでませんが「セラピー」は治療です。薬や催眠、もちろん手術を行わないで、病を治療します。
では、どうやって治療するの?と言うと、会話で治療するのです。精神分析が別名「おしゃべり療法」と称されるのはこの為です。そして、治療の鍵になるのは「無意識」です。難しい言葉でいうとコンプレックス(複合観念体)と呼ばれます。日本で「コンプレックス」と言うと=「劣等感」の様に扱われますが、これは誤りです。広辞苑をひくとこう解説してあります。
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コンプレックス【complex】 〔心〕
①心の中で抑圧されて意識されないまま強い感情をになっている表象の複合体。病的行動の原因になることがある。精神分析の用語。
②特に、インフェリオリティ-コンプレックス、「-を抱く」
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精神分析/セラピーとは、会話療法によって、患者の無意識(コンプレックス)を意識化する事によって患者の病的症状を軽減させ、更には完治させる治療です。キーワードは「無意識」です。
以上の事から、精神分析家にはクライアントと信頼関係を築き、定期的に会話療法を行い、治療目標の達成を行う事が求められます。また、精神分析は精神分析家とクライアントの「契約治療」であります。
インターネットで検索すると「精神分析/セラピー」はアメリカでは今は下火で、薬による治療が主流になっていると記事を目にした事があります。なんでも薬やビタミンサプリメントで解決しようとするアメリカらしい記事だなと思いました。その反面、欧米では著名人や富裕層はホームドクター的な位置付けで、個人がセラピストを雇って、セラピーを受けるのが普通だと言う話もききます。
日本の場合、昔は、村の村長さんがいて村民がいて自治が形成されており、更に、お寺の和尚さんがいて氏子がいて、村民の冠婚葬祭とメンタルケアがなされていたと言う生活様式でした。和尚さんお坊さんにもちゃんとした役目があったのです。お盆に檀家廻りをするだけが仕事ではありません。近年、日本の生活様式が急速に工業化、都市化してしまった事が「心の病」を増大させた原因の一つだと思います。人の弱みに付込む新興宗教が蔓延ったのもこの時代です。
面白い言葉があります「精神分析家は僧籍なき僧侶」だと。
精神分析家/セラピストは、昔で言えば氏子の悩みをきいて、心の負担を減らすお寺の和尚さんに役目を担う人なのかもしれません。では、窮地に追い込まれた我らがマイケル J・フォックスが、如何にして心の病と闘ったのか?彼の自伝「ラッキーマン」を紐解いて行きましょう。
4、精神分析とマイケル J・フォックスの出会い

マイケルは、ハリウッドで大成功を収めた俳優でありましたが、彼の養育史を紐解くと、特に有名人の息子であったわけでもなく、カナダの転勤の多い職業軍人の次男に生まれ、体も小さく、幼少期はよく三つ年下の妹と双子に間違われたそうです。理数系の教科には興味がなく、成績はさっぱりですが、作文や、音楽、演劇、芸術関係には秀でており、ギターをひき、仲間とバンド活動もしていました。
彼の年表をつくりました。興味のある方はごらん下さい。
18歳で高校を中退。ハリウッドで仕事を始めますが、21歳までは「下積み生活」で、日本的に言えば、地方から都会に出来てきた若者が1Kの安アパートでその日暮しの様な生活を送っていた様です。そんなマイケルにチャンスがやってきます。アメリカの人気コメディーテレビ番組「ファミリータイズ(1983~1989)」へのレギュラー出演です。日本で言えば「笑っていいとも」のレギュラー獲得的な感じでしょうか?これで、生活の心配が無くなった彼に更なる幸運がやってきます。世界的大ヒットとなった「バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)」への出演です。
これで、ハリウッドの大スターマイケル J・フォックスが誕生しました。そうですね、テレビや映画に出演し認知度の高い人気俳優と言うと日本では「織田裕二」「唐沢寿明」的な立場でしょうか。スターになった後の、彼のライフスタイルの変化や、彼の周りの変化、そして彼自身の価値観の変化は自伝「ラッキーマンに」詳細に書かれています。

しかしながら、彼の人気もいつまでも絶頂である筈はありません。「バック・トゥ・ザ・フューチャー2(1989)」「バック・トゥ・ザ・フューチャー3(1990)」「ドク・ハリウッド(1991)」あたりを境に運気が下り始めます。私生活においても、ファミリータイズで共演したトレーシーとの結婚(1988)、長男サムの誕生(1989)、父の急死(1990)、そして若年性パーキンソン病の症状(1990)がでてきます。この辺がマイケルの人生の曲がり角(ターニングポイント)であったのだと思います。
1991年30歳で若年性パーキンソン病と診断され、仕事はなく、酒に溺れ、自宅の売買のトラブルによりロサンゼルス群裁判所の法廷に通うことを余儀なくされた彼はその著書「ラッキーマン」にこう綴っています。
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(p.315) ぼくがひどい苦境に陥っていることにトレーシーはちゃんと気づいていた。ぼくたちがクリスマスにコネチカットへ帰る二、三日前のある夜のこと、トレーシーはぼくの気持ちを聞き出そうとして、彼女ばかりでなく僕自身も驚いてしまった。
「こんなみじめな気持になったのは生まれて初めてだよ」ぼくはいまにも泣き出しそうだった。
「ハニー、一人で悩んでばかりいてはだめよ。だれかに相談したほうがいいわ」いいと評判のニューヨークのセラピストの電話番号を彼女が書き写してくれた紙がどこかにあったはずだ。
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そしてマイケルはクリスマスイブに人生の棚卸をします。
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(p.320) 僕が必死になって書いていたものは、リストと言えるほどきちんとしたものではなかった。リストというよりは、僕の断酒仲間たちが「第四段階」と呼んでいるもの、この時点までのぼくの人生の棚卸のようなものだった。(中略)
数時間かかって、すばらしくわけのわからない文章ができあがった。とりとめがなくときには矛盾する自己解体の書であり、過ちと失敗、恨みと攻撃の台帳のようなものだった。(後略)
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クリスマスの翌日、1993年12月26日ついに彼は、ニューヨークのセラピストに電話します。
5、マイケル J・フォックスと精神分析
マイケルの電話先は、ジョイス:マンハッタンのウェスト・サイドで開業しているユング派のセラピストでした。マイケルは最初電話でジョイスに「自分の人生が火事で燃えているような気がする」と言ったそうです。そして、早速、その日の3時にジョイスのオフィスに行くことを約束します。
以下、セラピーの様子です。
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(p.330) ぼくの不安はあふれだした。ジョイスに電話をかけたことが呼び水となり、不安はすでにどんどん外に流れだしていた。ジョイスのオフィスには2時55分に到着した。まもなく僕たちは向い合って座った。ジョイスは膝にノートパッドを広げて、僕は頭を抱え込んで。この第1回のセッションを振り返って、ジョイスはぼくがまるで「全身の皮をはがれたみたいに無防備な状態で」現れたと言っている。ぼくは自分自身のことを話しはじめた。最初はとつとつと、やがて堰を切ったように。(中略)フロイトは「話すことで治す」と言ったそうだ。ジョイスのアプローチはカール・ユングに従ったものだったが、僕がお世話になるのが何派であろうと、やがてぼくはたくさんしゃべり、たくさん夢を見、そしていい結果を得ていくことになった。(中略)我ながらよくやったと思う。いったんセラピーを始めたからには、ぼくはこれをやることを自分に課し、週に3回ジョイスと会うことにした。だが、これは思うほど時間を使うことではなかった。この3時間のおかげで残りの時間が楽になり、なにに出合ってもそれまで引きずっていた精神的な重荷の過剰なまでの重さを感じずに反応できた。ジョイスのオフィスは、彼女の言うところの「エネルギーを蓄える」場所になってきた。そこは、いったん自分の無意識へと通じるドアの鍵を開けて、その中にある恐れや不安をさらしてしまても、またさらにもっと奥底を見つめるためにここに戻ってくるまで、それらすべてをそこに安全に置いたままにしておける聖域となっていった。ぼくはもう浴槽に隠れる必要もなかったし、なにかまちがったことを言ってしまうのではないかと心配するこおもなくなった。週三回、1回50分のセッションの中でなら思いっきり「まちがった」ことを口にすることができるのだった。長い時間水の中にずっと浸かっている代わりに、身体を洗うだけのシャワーを再び使えるようになったことは、時間の節約になるだけでなく、新たな見通しが出来たことも示していた。
煙がだんだん晴れてきた。いまでは自分の人生が完全に火事になってしまったわけではなく、いくつかの小さなぼやに見舞われているだけだということがわかった。それも、ジョイスのおかげで自分で消すことができそうだった。(中略)「101の基本的大人の責任」とでもいったものを、ぼくは理解しはじめていたのだ。ほとんどの人はこういうふうに生活しているのだ。バブルにうかれていないまともな人は。
パーキンソン病はジョイスとぼくには消すことのできない火だったが、それを否定したがるぼくの傾向には取り組むことができた。ぼくにとっての第一歩は、ようやく、パーキンソン病だという診断を認め、病気に乗っ取られるのではなく、自分が病気を所有することだった。受容には、怒りや絶え間なく続く精神的肉体的苦痛が伴った。セッションのあいだに左腕が激しく震えだしたとき、ぼくが拳でそれを殴っていたことを、ときにはあざが残るくらいひどく殴りつけていたことをジョイスは思い出させてくれた。
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マイケルも言っていますが、精神分析/セラピーの基本は「しゃべる」事、そして、「夢を見」・・夢分析を行う事です。夢分析については後述します。更に、マイケルはコンプレックスへのアプローチを「無意識へと通じるドアの鍵を開け」と表現しています。
マイケルが語っている「ぼくはもう浴槽に隠れる必要もなかったし」を補足説明すると、法廷に出廷いていた頃のマイケルがどういう状態であったかと言うと彼は一人で浴室にこもり風呂に入っていたのでした。「(p.318)左手が震えて温かいお湯のしぶきを飛ばしている静かな音が聞こえたし、水面下で左半身がぴくぴく動いているのが感じられた。しかし、明かりは消してあったのでそれを見ないですんだ」と言う記述があります。つまり、風呂に入っている時が人目をはばからず唯一リラックスできていたのです。私も病気を隠して会社務めをしていた時期があり、当時は、トイレの個室が唯一ほっとする場所であったのを覚えています。高校生がトイレでタバコを吸う感覚に近いものがあるかもしれません。
6、分析を受ける前のマイケル J・フォックス

(p.337) ジョイスに会う前、ドクター・ロッパーに会う前には、ぼくは、パーキンソン病のことを考えると、病気がすぐにやってくるというふうにまちがった信念を持っていた。まるでまだパーキンソン病などになってなかった過去にとどまるか、この病気に打ちのめされている将来に身を置くかを自分で選べるとでもいうように。人生はそこから抜け出ることのできない苦境や出来事や結果の連続になっていて、ぼくはその中で右往左往していた。いや、さらにひどい場合、出来事のほうからぼくに向かってぶつかってくるのではないかとぼくは恐れていた。パーキンソン病を抱えたこの守備に徹した、引きこもり思考の人生への態度は、仕事やぼくが最も大事だと思っている個人的な人間関係にまで影響していた。とくにトレイシー(妻)とサム(長男)のことで。
この病気を治すことができないのなら、そのことについては話したくない。個人的な主義としても、この考え方は重大な問題を抱えている。だが、これを結婚生活の中に持ち込んでしまうのは最悪だった。悲しいことに、ぼくはトレイシーのためを思っていると思っていたのだ。結局のところ、彼女がぼくの病気のためにできることはなにもないのだし、それだったらそのことを話して彼女に重荷を背負わせることもないだろう、と。だが、問題があまりに大きいために、そのことを話さないとなるとほとんどなにも話せなくなった。ちょっとしたおしゃべりでも危なかった。だって、そのことからどんな大問題に発展していくかわからないのだから。ぼくがパーキンソン病に振り回されてだけでもひどいことなのに、黙りこむことによって・・・つまり妻と家族をこの経験から切り離すことによって・・・ぼくは彼らをもパーキンソン病の虜にしてしまっていたのだ。ぼくの状況がどれほど過酷なものであったとしても、トレイシーにはトレイシーの悩みや苦しみがあったのは明らかだった。それなのにトレイシーには自分が直面している問題について、ぼくに相談することもできなかったのだ。ぼくにその答えがすぐ出せなかったら、まるでぼくの無能さをつきつけるだけのためにわざわざ彼女がその問題をぼくのところに持ってきたかのように、感じてしまったからだ。
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彼は、分析を受ける前の自分を回想し「ぼくは家族までパーキンソン病の虜にしてしまっていた」と自分の気付きを表現しています。自分では意識していなくても、結局、自分の無意識(コンプレックス)によって、自分で独りよがりな行動をしていたのだと。
7、精神分析を受けた後のマイケル J・フォックス

(p.338) この病気を治すことができないなら、そのことを考えたくもない。そんなことを言っても、トレイシーがぼくの病気のことを考えるのをやめさせることはできないことくらい、もちろんわかっていた。はっきり口に出して言われたことはなかったが、トレイシーがこのことをどう思っているかは、強迫観念のようにぼくの頭から離れなかった。ジョイスのオフィスでこの問題について何度もセッションを重ねるうちに、ぼくはこの話題を決して口にしないことでトレイシーを罠にかけているのだということ、そしてこうやって孤立していては、ぼくの気持ちをわかってもらうことはできない、ということがわかりかけてきた。「ぼくが病気だということが、きみを怖がらせている?結婚したこのぼくと変わってしまって、がっかりしている?将来のことを心配しているの?ぼくが怖がっている、がっかりしている、将来のことを心配しているとわかっても、それでもぼくのことを愛してくれる?」このどれも訊けないままでいた。訊いてないくせに、ぼくは勝手に心の空白を埋めていった。自分が勝手に想像したトレイシーの答えに、ぼくは打ちのめされた。最悪の答えを勝手に予想するなんて、ぼくの自分の勝手な行いだった。・・・現に彼女はぼくのもとを去っていってはいないのに、どうしてその事実を見逃していたのだろうか?・・・しかし、パーキンソン病との闘いの中で最初に犠牲になったのは信頼だった、ぼくが病気になったのはことでだれも責めることもできない、ぼく自身を責めることもできない。それでも、ぼくの中にはやはり裏切られたという思いがあったのだ。やがて、ぼくはその思いを、自分以外のすべての人に、自分に最も近い人までぶつけるようになっていった。これがどれほど不公正なことかが、ぼくにもわかりかけてきた。ぼくの病気を受け入れるのか、否認するのか、それとも彼女自身の見解を示すのか、トレイシーにその機会も与えもせずに、勝手に彼女の見解を捏造することはまちがっていただろう。しかし、彼女が沈黙を守っていること自体多くのことを語っていた。彼女はもう一人子どもを産むことについて、もうまったく口にしなくなっていた。口にしないことで、彼女がどう考えているかを十分語っていた。
ぼくがジョイスとずっとやってきた作業が、そしてぼくが病気を受け入れはじめ、進歩してきたことが、ぼくの人生を完全に変えたと気づいたのは、あの巨大で悲しい沈黙がついにあの春遅くに破られたときのことだったと思う。なにか特別のきっかけや考えがあって、この目覚めが起こったというわけではない。恐怖で昏睡状態に陥っていたところから突然飛び出せたわけではなかった。また、直線的な進歩でもなければ、簡単に地図でたどれるような自己啓発の旅でもなかった。ジョイスならこう言うだろう。そういう時期が自然にぼくの人生に現れ、ぼくがしっかり人生を見つめなければならないときがやってきたのだ、と。
ぼくの外見が徐々に変わってきた1994年の最初の数カ月のことを、トレイシーはこんなふうに覚えているという。「あなたの中に希望が戻ってきたのよ。ユーモアのセンスも。前ほどぴりぴり張り詰めている感じが無くなってきたわ。いつもいつも怒っているというふうでもなくなってきたし。ちょうど、壁が崩れはじめたような感じだった。そして、崩れてもあなたはもうその壁をもう一度築こうとはしないだろう、と思ったわ」
ある春の夕方のこと、ぼくたちは草の上に座って、サムが年下のいとこを従え、コネチカットのおばあちゃんの家のくさむらで蝶を追いかけているのを見ていた。トレイシーはぼくのほうに微笑みかけてこう言った。「サムはきっとお兄ちゃんになりたがっているわ」
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マイケルは、ジョイスの精神分析/セラピーによって、自分自身のコンプレックス(無意識)を意識化します。意識化すれば、それはもう無意識ではありません。つまり、それに左右されないと言うことです。こうしてマイケルは、自分の無意識を変える事によって、自分の運命を変えたのです。・・この事例は端的にみても「夫婦関係の改善」、長期的にみれば「希望する家族関係と人生の獲得」と言えます。マイケルはもう、パーキンソン病に振り回されたりしません。
8、マイケル J・フォックスの夢分析
フロイトは「夢は無意識への王道である」と言いました。わたしたちが眠ったときに見る夢は、「無意識の断片」として、重要な意味を持っており、無意識を知るための手掛かりやヒントを与えてくれます。
当然、ジョイスもマイケルの精神分析/セラピーをした時に、夢分析をした筈です。・・そう「ラッキーマン」の最終章にマイケルがみた夢の話がでてきます。ご紹介しましょう。
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(p.471) ブリティッシュ・コロンビア 1971年
ぼくが10歳で、あの道路の向かい側にショッピング・モールがあり、屋外プールのある三階建てのアパートに住んでいたころ、ぼくたちのアパートにはネズミがいた。そのネズミは厄介者ではなく、少なくともぼくにとってはペットだった。耳と目と鼻がピンクの、白い小さなネズミだった。ぼくはそのネズミを空の水槽の中で飼っていた。中には運動用の車輪と水の容器があり、窓用に網戸の切れ端をふた代わりに上に乗せて、重石に本がおいてあった。
どうやらその本の重さが足りなかったようで、ネズミが逃げ出してしまった。「戦争と平和」でも置いておけばよかたのだ。最悪のタイミングだった。近所に引っ越してきたおばあちゃんが、新しいアパートの準備ができるまでのあいだ、二日ほど我が家に泊まっていたのだ。ネズミが怖くてたまらないおばあちゃんは、心臓が弱かった。だからいつか、たとえばおばあちゃんが眠っているあいだなどに、あのネズミがおばあちゃんのベッドを横切ったり。顔の上を横切ったりしたら、おばあちゃんは心臓発作を起こしてしまう、とみんな心配していた。
幸いそんなことはおこらなかった。おばあちゃんは新しいアパートに移ったが、ネズミは二度と姿を現さなかった。ぼくは新しいネズミを買ってくることを禁じられた。父は水槽を没収して、そこに土を入れ、家にあった植物を二本ほど植えた。プランターに生まれ変わった水槽は、アパートの狭いバルコニーに置かれたが、ポトスだかオリヅルランだかなんだか知らないが、そこに植えられた植物が注意を向けてもらったのはそれが最後だった。何週間かがたつうちに、植物は枯れてしまった。翌年の夏におばあちゃんも亡くなった。ついに心臓が力尽きたのだ。
その年のクリスマスに、母は殻のままのクルミをいくつか盛った皿をコーヒーテーブルの上に置いた。ぼくは、クルミを食べなかったが、ひとつ取ってしばらく持ち歩いていた。あるとき、ぼくはバルコニーにふらりと出て、そのクルミをあの水槽に中に置き、親指で土の中に埋め込んだ。そのことはすっかり忘れていたのだが、春になると土の中から小さな緑の芽が出てきてぼくを驚かせた、あのクルミが根付いたのだ。この水槽からネズミが逃げたこと、そこからおばあちゃんへと子どもっぽい脈絡のない理屈で連想したせいだろう、ぼくはずっとこの小さな奇跡をおばあちゃんからのメッセージだと、おばあちゃんがいつまでもぼくのそばにいてくれるというサインだと思っていた。このことをだれかに話したかどうかは覚えていないが、このクルミにきちんと水をやり、日が当たるところに水槽を移動させたりして、しばらく世話をしたことは覚えている。だが、春は大掃除の季節でもある、ある火、ぼくが学校から帰ってくると、ぼくのかわいいクルミの木は消えてしまっていた。
ロサンゼルス 1995年3月
「アメリカン・プレジデント」の撮影は終りに近づいていた。サムとトレイシー、それからぼくたちの新しい二人の娘、アクゥイナとスカイラーがニューヨークの自宅でぼくを待っていた。ちょうどテレビへの復帰を本気で考えはじめていたところだった。そうすれば将来、必要以上にこんふうに家族と離れている必要はなくなる。この時期はもうすごく楽観的で、ぼくの人生の再スタートだった。仕事にあれだけ満足を得られたその大部分はジョイスのおかげだった。彼女ももちろんニューヨークにいたのだが、ぼくは朝9時の予約をずっと守りつづけていて、朝早くに目が覚めて、西海岸時間の朝6時に彼女に電話をかけていた。ある朝、ぼくは電話をかける前にファックスを送った、その朝ぼくは夢を見て目が覚め、すぐにその内容をホテルの便箋に走り書きし、ジョイスにファックスで送ったのだ。
ぼくはヴァーモントのうちの農場にいる。10歳くらいの男の子(サムがぼく自身)が馬たちが草を食んでいる牧場を横切っていくのを、ぼくが手助けしている。牧場の先には管理人の家がある。そこにたどり着くと、男の子がぼくを広い田舎風の台所に案内した、ぼくは自分が目にしたものにびっくりした。テーブル、カウンター、暖炉のマントル・・・あらゆるところに鉢やプランターがおかれ、植物が芽を出したり、苗が植わったりしている。そこは、家の中の苗床で、植物が元気に茂っていた。ぼくたちが部屋を横切っていくと、部屋の隅に作り付けの棚があった。男の子がにこにこしてぼくに言った。「これを見てみて」それから戸棚の扉を勢いよく開けた。
自分が見ているものを順序だてて説明するのはむずかしい。こんなことあるわけがないのだ。だが、この窮屈で、暗く、空気の少ない空間の中で、一本の木が育っていたのだ。育っていたという言葉は、ほんとうは適切ではない。それはすごい勢いで生い茂っていた。狭いところに押しこめられていたので、その木は盆栽のような格好になっていた。幹や枝は太くしっかりしていた。だが、扉が大きく開いたとたん、その木はぼくの目の前で成長を続けた。まるで低速度撮影で撮っているかのように、台所の風通しのいい光の中で新しい枝々がどんどん伸びていき葉を茂らせていった。
ぼくはすぐにこれがなんの木かわかった。あのクルミの木だ。あの木がずっと成長しつづけていたのだ。
9、カミングアウト
ジョイスの精神分析/セラピーを受け、自分の無意識を意識化したマイケルは、パーキンソン病と世間に立ち向かいます。決断の時、ここでも、ジョイスは大きな役目を果します。「ラッキーマン」から拾ってみましよう。
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(p.416) マンハッタン 1998年11月
ジョイスのオフィスに入るとすぐに、ぼくはソファに崩れ落ちた。金曜日の朝だった。その夜は番組の収録があるというのに、全身が一週間分のプレッシャーで押しつぶされそうだった。
「このごろずっとこんな気分なんだ」と僕は話しはじめた。「何年もこんなふうに感じたことはなかったのに。昔感じたことのある、いまにたいへんなことが起こるのを待っているような気分なんだよ」
ジョイスは黙ったまま、しばらくぼくの言ったことについて考えていた。やがて、ぼくが彼女の方に注意を向けているのを確認してから、かすかに笑みを浮かべ、やさしく、だが簡単にこう言った。「マイケル、あなたはパーキンソン病にかかっているのよ。たいへんなことはもうとっくに起こっているじゃない」
まるで、抱きしめられたように、その瞬間、ぼくは押し寄せてきたある感情に包みこまれた。目から涙があふれ、温かく頬を伝わり落ちた。悲しみや自己憐憫(じこれんびん)の涙ではなく、安堵と自尊心と深い深い感謝の涙だった。ジョイスの言うとおりだ。たいへんなことはとっくに起こっていたのに、ぼくはここまで生き延びてきたのだ。もうなにも恐れることはない。これ以上秘密を守っていると、心まで病気になってしまう。
そろそろ潮時だった。心の準備はできた。
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ご存知の様に、マイケル J・フォックスが若年性パーキンソン病に罹っていながら、それを隠し俳優活動をしていた事が公表された時、アメリカのマスメディアは大変センセーショナルな扱いをしました。日本においても、大きな話題となりYouTubeの彼の動画は大変注目を集めました。
そして、2002年に発行された彼の自伝「ラッキーマン」はミリオンセラーを記録するのでした。
10、パーキンソン病リサーチ財団設立
2000年には『スピン・シティ』を降板し俳優活動から退いたマイケルは、パーキンソン病の研究助成活動を始め「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を設立しました。この財団の意義についてマイケルは自伝「ラッキーマン」の中でこう語っています。・・が直面している課題は、どの研究者が最高の仕事をしているか見極め、次にできるだけすみやかに資金をその研究者に渡すことができるシステムを考え出すことだった、と。・・・
11、終わりに
我らがヒーロー マイケル・J・フォックスの自伝「ラッキーマン」の中から精神分析/セラピーに関する部分にスポットをあてながら読み進めて参りました。是非、皆さんも一読される事をお勧めします。セラピスト:ジョイスとの関わりを通して、マイケル自身が変化していく様子が理解できると思います。少しでも読者の皆さんの精神分析/セラピーの理解につながれば幸いです。
最後に、竹田精神科学研究所の喜道進先生からコメントを頂いております。
セラピストの意思、本人の変わっていくんだという気持ち以上に、助言者からの応援が重要な要素になることは多くのセラピストが実感している事でしょう。
あるクライエントから、「有名人はセラピーに来ないのですか?」と聞かれました。マイケル・J・フォックス級の人物でさえも、真摯に自分を見つめる事に努力をしている事で、セラピーが欧米のようにごく普通の事として受け止められるようになれば悩みを抱えている方々にとって福音になるのではないかと思います。
かつて「某有名タレントが自らが書いた書道の作品を、地域の展覧会に出品すると言う事で、展覧会場に開館前から長蛇の列ができた」と言う事がありました。そのタレントの作品の前で泣きだすファン達。記帳には何百という名前が書き連ねてあったのには驚きでした。このファンの中から書道愛好者が出た!と言う事は残念ながらありませんでした。しかし、マイナーなものがどんな形であれ、一般に伝わっていくというのはうれしいもの。言える事は、われわれセラピストが、一人でも多くの人に幸せになって欲しい、精神分析をどんどん伝えていきたいという強い意志を持つ事と言えます。
私は「精神分析」を通して、マイケル・J・フォックスの成功例をはじめとして、多くの人が、人生が意味のあるものである事、プラス思考の人生になるのだという事を実感してもらう事を願っています。
ありがとうございます。これからも広報活動頑張ってまいります。 月刊精神分析編集部A
12、マイケル・J・フォックス動画倉庫
マイケル・J・フォックスのYouTube動画を集めました。
Back To The Future Part I Original Theatrical Trailerこの映画の大ヒットで僕とマイケルは友達になりました。 | |
全米熱中TV ファミリータイズ マイケル・J・フォックスの出世作、ファミリータイズ です。こちたの動画は日本語吹き替え版です。オリジナルもアップされていますのでさがしてみてね。 | |
マイケル・J・フォックス自らを語るごゆっくりご覧下さい。 | |
[CM] HONDA INTEGRA インテグラ 1989年 Michael J. Fox インテグラバブル時期のCMです。HONDAも金かけてましたね。 | |
キリン午後の紅茶 CM マイケル・J・フォックス(1993-94)コメディタッチのCMです。覚えていますか? | |
Michael J. Foxこれをみた時はショックでした。 |
13、マイケル・J・フォックス年表
| 西暦 | 年令 | 出来事/作品名 | |
| 1961 | 0 | 06/09 | エドモントンにて誕生 |
| 1962 | 1 | ||
| 1963 | 2 | ||
| 1964 | 3 | ||
| 1965 | 4 | ||
| 1966 | 5 | ||
| 1967 | 6 | ||
| 1968 | 7 | ||
| 1969 | 8 | ||
| 1970 | 9 | ||
| 1971 | 10 | ||
| 1972 | 11 | 08/22 | 祖母心臓発作でなくなる |
| 1973 | 12 | ||
| 1974 | 13 | ||
| 1975 | 14 | ||
| 1976 | 15 | ||
| 1977 | 16 | レオ アンド ミー出演 | |
| 1978 | 17 | ||
| 1979 | 18 | 04/01 | 高校中退:ハリウッドへ |
| 1980 | 19 | 下積み | |
| 1981 | 20 | 下積み | |
| 1982 | 21 | 下積み | |
| 1983 | 22 | ファミリータイズ~1989 | |
| 1984 | 23 | ||
| 1985 | 24 | バック・トゥ・ザ・フューチャー | |
| 1986 | 25 | エミー賞 | |
| 1987 | 26 | 愛と栄光への日々:摩天楼はバラ色に | |
| 1988 | 27 | 07/16 | 結婚 |
| 1989 | 28 | 長男誕生:エミー賞受賞 | |
| バック・トゥ・ザ・フューチャー2 | |||
| HONDAのCM出演 | |||
| 1990 | 29 | 01/06 | 父急死 |
| バック・トゥ・ザ・フューチャー3 | |||
| 11/13 | 発病 | ||
| 1991 | 30 | 09/01 | 病名:若年性パーキンソン病 |
| ドク・ハリウッド | |||
| 1992 | 31 | 飲酒をやめる | |
| 1993 | 32 | 11月裁判 | |
| 12/26 | セラピスト:ジョイスと出会う | ||
| 1994 | 33 | GED合格 | |
| キリン:午後ティCM出演 | |||
| 1995 | 34 | 02/15 | 双子生まれる |
| 1996 | 35 | ||
| 1997 | 36 | ||
| 1998 | 37 | 03/15 | 脳外科手術受ける |
| 11/19 | パーキンソン病公表 | ||
| 1999 | 38 | 09/28 | 上院歳出小委員会公聴会 |
| 12/31 | 引退を決意 | ||
| 2000 | 39 | 09/10 | エミー賞 |
| 2001 | 40 | 財団設立 | |
| 2002 | 41 | ||
| 2003 | 42 | ||
| 2004 | 43 | ||
| 2005 | 44 | ||
| 2006 | 45 | 10/20 | 議員の応援CMに出演 |
| 2007 | 46 | ||
| 2008 | 47 | ||
| 2009 | 48 | ||
| 2010 | 49 | 02/28 | バンクーバーオリンピック閉会式 |
| 2011 | 50 |
Webマガジン月刊精神分析&分析家ネットワーク
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